では、W.Kさんから、海外経験について教えてください。
W.K 私は2才から5才までをフランスで、5才から7才まではポルトガルで、そして7才から10才まではイタリアで生活しました。
9年間で3カ国、インターナショナルスクールでの生活がほとんどだったようですが、大変だったでしょう?
W.K 転居する度に新しい土地、新しい言葉、新しい友だちという状況でした。アジア系の生徒がほとんどいなかったので少し肩身の狭い思いもしましたが、私が日本の魅力を伝えなければ思い、友だちに折り紙やひらがなを教えていきながら仲良くなっていきました。
日本語の勉強には苦労したのではないでしょうか。
W.K はい、どの国でも親以外に日本人がいないという環境で生活していましたので、日本語の勉強には特に困りました。通信教材を使った勉強や日本語の本をたくさん読んだこと、また日記を書いたことで何とか克服しました。
海外での一番の思い出は何ですか?
W.K ポルトガルの印象が一番強く残っています。きれいな海、優しい人たち、ほんわかとしたムードで平和な国だなという思い出があります。
受験を意識し始めたのはいつごろですか?
W.K 小5の冬ごろです。正直言ってその頃は「受験」そのものを知らなかったのですが、母から「受験してみたら?」と勧められ、ゲームでもやるかのような軽いノリで「いいよ」と答えたことを覚えています。
受験校はどのように決めましたか?
W.K 先ず、帰国生が多く在籍していて、帰国生に対して優しい学校をいくつか選びました。オープンスクールなどに参加し、直接学校の先生や先輩たちの雰囲気がわかったことがとてもよかったと思います。5校ほど学校に訪問しましたが、いじめがないかも気になったので確認するようにしました。
具体的に受験校を絞り込んだのはいつごろですか?
W.K 小6の夏ごろだったと思います。どうしても算数が苦手だったので英語と国語で受験できる学校に絞りました。
学校選びのときに、両親との間で意見の食い違いはありましたか?
W.K ありました。私は共学校に行きたかったのですが、帰国生教育に力を入れていて英語と国語の2科目で受験できる学校は女子校ばかりだったことから両親とはよく喧嘩してしまいました。
面接や作文の対策はしましたか?
W.K はい。JOBAの先生方や母に相手になってもらって、繰り返し練習しました。作文は、実際に文を書く練習もしましたが、たくさん本を読んだことも作文の対策になったと思います。
受験のときに一番困ったことは何ですか?
W.K 受験勉強は英語と国語に絞ったのですが、模擬試験でもなかなか点数が伸びなかったため挫けそうになりました。学校の友だちも中学受験するひとがたくさんいましたが、帰国枠受験は私だけでしたので、気持ちを込めて勉強することが難しい時期もありました。
この学校を選んだポイントは何でしたか?
W.K 日本文化実習や礼法の授業などで日本文化に触れつつも、ネイティブの先生と英語で会話する機会が多いこと、また模擬国連なども行っているグローバルな学校だったことです。
入学前に不安はありませんでしたか?
W.K 友だちができるかが心配でした。また、算数が苦手だったので、数学や化学の授業についていけるかが心配でした。しかし、入学してみると友だちも先生も皆やさしく私たちを受け入れてくださりすぐに友だちもできました。数学と化学は苦労していますが、今の所補習を受けることなく自分でがんばっています。
続いてT.Y さんは、アメリカでしたね。
T.Y はい。6才からニュージャージー州で生活を始め、10才のときにイリノイ州に移りました。いずれも日本人学校に通っていました。アメリカでの生活に多少不安がありましたが、アメリカの家は大きいし私の部屋もお姫様の部屋のようになると言われてからは楽しみになり、先に赴任した父から送られてくる写真が待ち遠しかったことを覚えています。
現地での一番の思い出と言ったら何ですか?
T.Y 日本で生活していては簡単に訪れることができない多くの場所に旅行に行けたことです。また、ニューヨークの近くに住んでいたので、ブロードウェイは当たり前のように歩いていましたし、ミュージカルもたくさん観ました。
勉強面で困ったことは何でしょうか?
T.Y 毎週金曜日は1日中英語の授業でした。レベル別のクラスでネイティブの先生にも教わっていました。この英語の授業についていくのも大変でしたが、英語に力を入れているため、英語以外の授業がやや駆け足になってしまい両立させることが大変でした。そのため、日本語の塾に通ったり、ワークを購入して自学自習をしたりしました。
中2のときに帰国したそうですが、編入試験を受けようと意識し始めたのもそのころですか?
T.Y いいえ、意識し始めたのは小4のころだったと思います。当時は小5のときに帰国できるはずでしたので、日本の公立小学校から中学受験をする予定でした。しかし父がイリノイ州に異動になったため、帰国も延期せざるを得なくなってしまいました。
そのころから、私は穏やかな雰囲気のある中高一貫の女子校に進めたらいいなと思っていました。
帰国が決まり、編入試験について学校に問合せたところ、特別な対策は必要なく日本人学校の学習内容をしっかりと身に付けておけば大丈夫ということだったので、日々の勉強に力を尽くしました。
学校選びのときに、両親との間で意見の食い違いはありましたか?
T.Y 両親も私と同じように考えていてくれたので、食い違いは特にありませんでした。学校訪問のときには、帰国生の受験制度と学力レベルについて、英語の授業内容、また学校の雰囲気などを確認するようにしました。
この学校を選んだポイントは何でしたか?
T.Y 学校訪問のときに感じた先輩方の穏やかな雰囲気と校舎がすてきなところ、そしてセーラー服のかわいさでした。リボンの質も良いですし結び方もかわいいのでとても気に入っています。
面接の対策はしましたか?
T.Y はい。私も塾の先生や母に練習相手になってもらいました。そのおかげで試験のときにはとても落ち着いて受け答えができました。
受験のときに一番困ったことは何ですか?
T.Y 数学の試験が難しくてパニックになってしまい、面接への気持ちの切り替えがスムーズにできませんでした。また、試験のときにローファーを長時間履いていたため、靴ずれしてしまって歩けなくなってしまったことです。
入学前に不安はありませんでしたか?
T.Y 中2からの編入だったので、すんなりと溶け込めるかどうかはやはり不安でした。部活も途中入部になるため心配していました。クラス替え直後だったので友だちは直ぐにできましたが、部活では大勢の先輩と後輩の名前を一度に覚えなければならなかったので大変でした。中1のときにみんなと一緒に下働きをしていなかったので、少し気を遣っていました。
次に学校生活について教えてください。一番好きな授業は何ですか?
W.K 社会です。特に歴史が好きです。生活した3カ国は何故か似ていると当時から感じていたのですが、民族について学習したときに全てラテン民族であるということを学んだときにそのことに納得し、また現地で身近に触れていた歴史的建造物や美術品などを改めて学習したときに完全に古代ローマ史の虜になってしまいました。
T.Yさんはどうですか?
T.Y 数学です。一番の苦手科目でしたが、この学校に来て「解けた!」という楽しさに気付かせてもらえました。編入試験のときにやはり数学の得点が低かったので課題が出たのですが、それをひたすら解き続けて受けた休み明けの試験で良い点が取れたときにそう思いました。先生の教え方も私にピッタリだったことも大きかったと思います。
入学後、学習面で困ったことはありますか?
W.K 「定期テスト」というものが海外の学校にはなかったので、中1の間はなかなかテスト勉強に慣れずに困っていました。また苦手の数学はいくらやってもわかりませんでした。受験生のときに算数の勉強をしていなかったことが影響しています。
T.Y アメリカで通っていた日本人学校よりも特に数学の授業進度が速かったので、ペースを掴むまで少し時間がかかりました。高校生になってから学習する物理が少し心配です。
それでは学習面以外ではどうでしょうか。
W.K 中3になってからですが、学業・部活・委員会の両立に悩まされました。
また、9年間海外に住んでいたので、日本語を話す能力、文章を書く能力が低く、委員会活動をする際に困りました。
T.Y 私は初めての電車通学で、荷物の重さと靴ずれに悩まされました(笑)。
では話題を変えて、W.Kさん、学校のお気に入りポイントは何ですか?
W.K 自分を受け入れてくれる最高の仲間に出会えた教室が好きです。また、何でも相談できる先生方がいらっしゃる職員室も大好きです。他の先生に用事があるときでも必ずネイティブの先生に話しかけて、また先生からも一言いただいてからというのが日常です。
T.Yさんはどうですか?
T.Y 広くて明るい図書館が大好きです。また、部活で使っているテニスコートもお気にリです。
入学前の印象と入学後の印象に違いはありましたか?
W.K ありました。入学前は校則がとても厳しくて勉強ばかりの毎日かと思っていましたが、実際は全く違っていて、友だちや先生はとても温かく、勉強だけでなく生活面や部活動にも力を入れている学校でした。
T.Y 私も入学前に想像していた以上に、先生と生徒の距離が近くて気軽に話していたことです。
入学後、よかったことや嬉しかったことを聞かせてください。
W.K 初めて生徒会の中央委員に選ばれたとき、演説を終えた私にクラス全員が集まってきてくれて一緒に喜んでくれたことです。仲間の気持ちがとても嬉しかったです。
T.Y ちょうどクラス替えのタイミングだったので、編入生でも友だちが作りやすくすぐにみんなと仲良くなれたことです。
思い出に残っている学校行事はありますか?また楽しみにしている行事があれば教えてください。
W.K 私は運動会が思い出に残っています。中1のときは最下位、中2で2位、そしてついに中3で優勝することができました。クラスの団結力で勝ち得た優勝だと思っています。
T.Y 私は中2のときの合唱コンクールです。クラス替えをしてすぐの時期だったので、練習を始めたころは中々声も揃わなかったのですが、徐々にまとまってきて最終的に優勝することができました。その時の一体感は今でも忘れられません。
他にはどのような行事がありますか?
W.K 高校の球技大会が楽しみです。球技は自分でも得意だと思っていますので、活躍したいと思います。
T.Y 私の教室は体育館のそばにありますが、球技大会での先輩方の楽しそうな雰囲気が伝わって来ていたので、私も今から楽しみです。
実践女子学園では部活が必修だそうですが、お二人は何の部活をしていますか?
W.K 私は、バドミントン部に入っています。中2のときに部長に選ばれ、自分の技術も向上させながら部長の仕事もとなると大変でしたが、何とかがんばりました。
T.Y 私はテニス部に入っています。とにかく走って体力を付けています。日曜日も練習があるため辛い時もありますが、部員全員で競争心を持って練習を続けています。
先程も話がありましたが「日本文化実習」というのがあるそうですね。これはどのような内容なのでしょうか?
T.Y 中1のときに、日本古来の茶道、華道、筝曲、和装着付、仕舞の中から1つを選んで、日本文化の素晴らしさに触れられるというものです。両親の影響で私も茶道を選びました。海外の方々に日本の茶道の素晴らしさを伝えられればいいなと思っています。
学校にいる他の帰国生たちのことを聞かせてください。
W.K みんなすごく楽しそうです。個性豊かでおもしろい子ばかりです。3年目にもなると、誰が帰国生なのかも忘れてしまうぐらいみんなとても仲良しです。
T.Y みんな転編入の経験があるためか、社交的な子が多いような気がします。
先生たちのことをちょっと教えてください。
W.K 最高の先生です。友だちの次になんでも話せます。本当にやさしくて、いつもおっしゃることは正論なのでその度に納得しています。相談の際も、生徒のことを「生徒」ではなく「一人の人間」として見てくださる素晴らしい先生ばかりです。
T.Y 怖いと言われている先生でも、私は壁がなく気さくに接してくださるように感じています。
ネイティブの先生はどうですか?
W.K 職員室にネイティブの先生とおしゃべりをするためだけに行く人がいるぐらい個性的でフレンドリーな先生ばかりです。あるネイティブの先生とは共通の趣味があるのでよく話します。WritingやPlay(劇)なども教わりたいと思っています。
T.Y 実は日本語も理解できる先生が数多く、いつもオープンに受け入れてくださいます。
将来のことは何かイメージしていますか?
W.K 歴史が好きなので考古学者か学校の先生になりたいなと思っています。また、世界と日本をつなげることにも興味があるので管制官にも憧れがあります。
夢を叶えるために、今がんばっていることは何ですか。
W.K 何事にも本気で取り組むこと、また何かをやり始めたら自分の長所に挙げられるようになることを目標にしています。
T.Yさんは将来についてはどのように考えていますか。
T.Y 文系に進むとは思いますが、具体的な学校や学部についてはまだ決まっていません。職業も模索中ですが、学校でキャリア教育があるので少しずつイメージを描き始めているところです。
どんな職業を目指すとしても困らないように勉強の手を抜かずに結果を残すこと、また多くの人と関わって色々な経験を積むことを心がけています。
最後に、海外で生活している後輩たちに一言お願いします。
W.K 日本人であるということに誇りを持って強くいてほしいと思います。少数のアジア人として肩身の狭い思いをしていたときに、アジアと日本の魅力を伝えられるのは私しかないとポジティブに考えてからは、気持ちも生活も変わったように思います。全てのことをチャンスと考えるようにしてみてください!
T.Y 帰国後のことは心配しすぎずに、現地での生活や勉強、スポーツなどを充実させて過ごしてもらえればと思います。海外生活の経験がきっと日本に帰ってから道を拓く助けになると思いますよ。 健康に気をつけてがんばってください!
本日はありがとうございました。みなさんも元気にがんばってくださいね。